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学生時代の話を抜きには、池上社長を語ることはできない。外で遊ぶことが好きで、よく友達と遊んでいたが、勝負ごとになるといつも真剣で、負けると悔しくて泣いていたというほど大の負けず嫌いであった。中学生の時に池上社長の人生を変えていく陸上競技に出会い、うちこむ。元は走り幅跳びから始めたが、途中で三段跳びに変えたのをきっかけに才覚を表し、高校2年時には全国高校総体出場、3年時は全国高校総体2位の偉業を残した。とにかく、一度始めるとそれを極めるまでやる性格であり、効果的な練習方法、食事を常に考えるだけではなく、中学以降、引退する29歳まで練習日誌を毎日書き続けたという努力家でもある。関東の大学にスポーツ推薦で進学し、三段跳び日本新記録とオリンピック出場を目指し、日々過酷な練習に取り組んできたが、結果を出すことはできなかった。

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しかし、三段跳びを続けたいという気持ちは強く、卒業後は日系スポーツメーカーに入社、朝から昼まで働き、その後は練習に打ち込んでいた。そして1981年に転機が訪れる。当時働いていた日系会社を退社、ナイキ日本法人の立ち上げに加わり、ナイキに入社。それと同時に、今までの血のにじむような努力が実り、日本選手権で優勝する。さらには、大学から支えてくれた奥さんと結婚。「人生において絶対に忘れられない年」だと語る。

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当時はナイキ日本法人の権利を日系商社が保有しており、日本的組織であった。どれだけ成果を出しても、他の社員と給料が同じでは納得できず、周りに止められながらも同社を退社。しかし、その年にナイキジャパンの権利がアメリカ本社へ完全に移り、実力主義になった。その後2年間、放浪をしていた時に、当時ナイキ本社からナイキジャパン出向していたマーケティング本部長と、立ち上げ時の同僚から戻らないかと再度声をかけられ、再入社を決意。「以前務めていた時とは一変、成果が全てであり、目標設定には入念に時間をかけ、目標に突き進むスピードは尋常ではなかった。さらに、英語でのコミュニケーションも求められた」と語る。その後、49歳まで全力疾走で走り切り、総社へ戻る。

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元々、父の会社を継ぐ思いはなかったが、父の下で働き始めると、今までに親孝行や生まれ故郷へ恩返しを何もしていなかったことに気づき、今後は貢献していこうという思いが芽生え始める。その後、本気で新しい仕事を学び、代表取締役へと就任する。現在は、旧山手村(現在は総社市と合併)で有名であったセロリの活性化に力を入れているという。昔は、山手を通ればセロリの匂いがすると言われるぐらい生産量が多く、有名であった。さらに、池上社長の父はセロリの粕漬けのプロであり、中四国で2人だけしか選ばれない賞を取るなど、セロリには強い思い入れがある。今後は、耕作放棄地や休耕地の農地を再利用して、セロリの生産に乗り出し、セロリ復活に向け、走り始める。再び、セロリの匂いがする総社(山手)と呼ばれる日はそう遠くはないかもしれない。

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