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東京都内の大学に通っていた眞田社長は、就職活動を機に自分の仕事を考えるようになる。「当時は商社に入社して海外で働きたい。あるいは、バブル全盛期だったので、金融業界で儲けたいという思いがあった」。しかし、父(当時三乗工業 代表)が出張に東京へ来た際に、「大手企業に入ると組織の歯車になって一生が終わるぞ」と言われ、三乗工業に入社して、力試しをしてみてはどうかと打診された。「正直、初めは製造業なんかで働きたくないという思いがあった。しかし、歯車で終わる人生にはしたくない。自分で会社を成長させることができる環境で挑戦をしたい」という思いから、入社を決意。

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初めの5年間は修行をするため、父に紹介された名古屋にある会社で営業マンとして働くことになる。「そこでは、営業以外にも宣伝、商品企画、事務など様々な仕事を経験させてもらうことで、今の土台を作ることができた。5年で会社に戻る予定だったが、親会社である三菱自動車の売上が好調で仕事が忙しくなり、結局8年間働くことになった」。その後、今の会社に戻り、忙しい日々が始まった。自動車部品メーカーでは、受注から数年後に製品を製造する。つまり、受注の失敗は、将来の仕事がなくなることを意味している。だからこそ、営業をする時は常に命懸けで取り組んでいた。数々の思い出がある中で、「新車立ち上がりの営業活動で大物部品の受注を総なめした時は、最高に嬉しかった」と熱く語る。その後は、2004年にダイムラークライスラが三菱自動車から撤退、2008年にはリーマンショック、様々な逆境が押し寄せる中、なんとか乗り越え、2011年には代表に就任。現在は、下請けからの仕事だけではなく、安定した収益源を作るために、かぶせるだけで騒音問題を手軽に解決するMESミノリ・サイレンサーを開発。「今後は、自社製品の開発にも力を入れたい」と将来の展望を語る。

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「人生であり、体の一部のようなモノですね。どんな時でも、仕事のことが脳裏にあります。近年では、特に厳しい状態が常に続いている状態であり、少しでも気を抜けば、負けてしまいます。経営者になってからは、本当に多くの逆境に直面し、今もそれらを乗り越えようと必死の毎日です。厳しく、強い忍耐力が求められます。でも、社員の皆さんにも迷惑をかけっぱなしですから、弱音を吐く訳にはいきません。仕事とは私の人生ですからね。」と語る。

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