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現在、岡山県の総社市と倉敷市で宮脇書店のFCの2店舗を経営している。

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大学生のころ、三宅社長は「働くとは社会と関わるための手段であり、労働を通じて、社会的存在価値を認識できることだ」と考えていた。しかし、実際に働いてみると、そういったイメージは持ちづらく、「仕事とは生活の糧である」と考え始めるようになった。

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大学では経営学を専攻し、なかでも会計を専門に勉強をしていた三宅社長。一方で、大学生の時は将来、人のためになることをしたい、特に障がい者など弱者を助けたいという思いがあり、養護学校の先生になりたかったと話す。しかし、父の体調が悪化し、家族会議で話し合った結果、長男の三宅社長が父親の経営していた建設会社へ戻ることになった。「入社してから5年間、与えられた仕事は全力で取り組んでいたが、自分が心からやりたいという気持ちでは働くことはできていなかった。それを見抜いた父親に『手を抜くな!』と怒られ、当時は常に衝突をしていた。」と三宅社長は話す。

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入社して5年目、武道館を建築している際に、そこを仕切っている棟梁が途中で出勤しなくなり、相方として働いていた三宅社長が棟梁に抜擢された。そこで初めて、脇役ではなく、主役として働き、無事武道館を完成させたのである。この経験をきっかけに三宅社長は仕事に自信を持つようになった。受身だった仕事への姿勢も主体的になり、仕事を楽しいと感じられるようになったのである。その後、30代後半までの10年間は無我夢中で働き、「自分が日本で一番の鉄鋼建築の技術者だと思っていた」と話す。しかしある日、“本物”の技術者に出会い、「この人には何十年努力しても追いつくことはできない。勝てる気がしない」と感じた。自分が技術者になるよりも、このような高い専門力を備えた人たちに仕事を任せる方が良いと考え、経営者の道を歩むことになる。

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オイルショックで景気が悪化し、建築業界にも影響が出始めた。この難局をどのように乗り切るか考えていた、ちょうどその矢先に、銀行から現在の書店事業を始めないかと紹介された。三宅社長自身本が大好きであり、当時の書店業界はまだまだ成長の見込みがあると考えられたため、書店事業を開始することになる。開始当初は、建築事業を柱に働いていたが、ある日「同時に2つの事業をすることで、どちらも中途半端になってしまうのでは」と感じた。そこで、借金の少ない建築事業は運転を休業し、借金のより多い書店事業一本に集中することに。事業開始から半年間はいつ潰れるか分からない状態であったが、当時の書店業界に感じていた、疑問や問題点を改善していき、自分なりの書店を地道に作り上げた。結果、徐々に業績が伸びてきたのである。

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その後、経営とは何か、仕事とは何かを真剣に突き詰めて考える中小企業家同友会に参加をすることで、経営者としてどうあるべきかを深く考えるようになる。三宅社長曰く、「船で例えると、経営者とは舵取りであり、スタッフはエンジンなのである。経営者は方向性を示し、スタッフと強い信頼関係を築き、スタッフが自発的に会社を推し進めるような組織を創ることが仕事なのである。」と話す。

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今までは景気が良かったので、二流、三流の会社であろうと、景気の勢いに身を任せていれば良い、いわば「誰でも生き残れる時代」だった。今後は、一流しか生き残れない時代に入ってくる。特に書店業界は、電子書籍やネット販売などの台頭により厳しい状況になる。しかし、不安の裏には、ワクワク感もある。本当に良い会社であれば生き残ることができるからである。一流の会社とは、経営者とスタッフがお互いに真の信頼関係を築いている組織体。あるいは、その製品またはサービスがないと世間が困るようなオンリーワンの事業を持つ会社である。「今後も、徹底した労使関係を作り、スタッフの皆が自発的に働く社風を作りたい。そのために、まずは常に謙虚な姿勢で、スタッフに心からの感謝の気持ちを持ち続けることが、無意識の状態で行えるようになるべき」と意気込みを語った。

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